Kunihiko Shimada Official Blog 国際交渉人 島田 久仁彦公式ブログ

『あなたが救える命』そして”わたし”が救える命

『あなたが救える命』- “私“が救える命

 

哲学者ピーター・シンガー(Peter Singer)は著書『あなたが救える命』の冒頭部分で、彼のお気に入りの思考実験を紹介し、読者に非常に深い問題を問うている。内容はこうだ。

 

「ある朝、仕事に向かう途中、池で小さな子供がおぼれているのを目撃したとする。周りには誰もおらず、その子を救えるのは、そこを通りかかったあなただけ。その子供を助けるためには、あなたは水の中に入らなくてはならず、買ったばかりの新しい靴は台無しになるし、服もずぶ濡れ。そして仕事にも確実に遅れてしまう。さあ、あなたならどうする?」

 

という内容だ。

 

答えとしては、「もちろん、その子供を救う」だろう。子供の命と比べれば、ちょっとの時間やお金(ここでは靴や服)なんて微々たるものだ。

 

しかし、ここで話は終わらない。シンガーは現実の状況について考えてみてほしいと書いている。私たちが知るか否かは別として、日々、世界中で何千人もの子供たちがさまざまな理由で命を落としている。その死の原因の多くは、新しい靴一足分の金額で簡単に防ぐことのできるものだ。例えば、国際赤十字社によると、麻疹は毎日300人の子供の命を奪い、その大半は5歳未満の子供(infants under 5)だが、たった1ドルの寄付金で子供一人が予防接種を受けることができる予想だ。一日一ドル、大体、110円ほどだろうか。私たちが、それぞれ少しの工夫をすれば(コーヒーを一杯我慢するとか)、1ドルは容易に捻出できる。生活をまったく変える必要なく、一日一ドルの出費をカバーできる人も多いだろう。それほど簡単でも、どうして死にかけている子供たちを、私たちは救おうとしないのだろうか。

 

シンガーの溺れる子供の話を読んだとき、私がまず考えたのは、私自身、すでにさまざまな目的のための寄付をいくつもしているし、最近では、クラウドファンディングを通じ、友人や仲間が企画する活動をサポートしたり、生活を便利にする発明を支援したりしているじゃないか、ということだった。実際、シンガーの理論には賛同できるし、寄付をもう一本付け加えることは十分可能だったのに、彼が支援するNGOであるInnovations for Poverty Actionを支援するために、自分のクレジットカードを財布から取り出すことはしなかった。なぜだろうか。

 

同じ「溺れる子供」の例に少しだけ異なる仮設を加えると、ちょっとだけ心の状況をめぐる真実に近づけてくれる。例えば、数日前に池でおぼれている子供を助けたばかりで、その際にダメにしてしまったビジネスシューズの代わりに、昨日、新しい靴を買ったとしよう。すると、今朝、2人の子供が溺れかかっているのを見てしまった。同じく迷いなく飛び込み、運よく2人とも助けた。そしてまた靴を買う。その次の日、今度は3人、溺れかかっていた。もちろん、その3人も助けた。だがこの数日間で、何足も靴を無駄にし、仕事にも連続で遅刻している。そうなると明日や明後日のことが心配になる。もし毎日、子供がおぼれていたらどうする?続けられるだろうか?ちょっと自信がなくなってくるのではないか。

 

私たちが実際に直面する状況は、こちらに近い。私たちの多くは1人の子供を救うためには喜んでお金を寄付するだろうが、救いを必要としている子供たちを継続的に救い続けられる人は多くないだろう。出費という経済的な事情に加え、そのために必要な時間を捻出する覚悟がなかなか湧かない。良心の呵責はあるが、現実的にはそれをぬぐうための解決策を講じることができないのだ。

 

そこで私自身の経験をもとに考えてみる。世界中で起きている紛争による悲劇に対する私たちの実質的な無関心をどう説明できるだろうか。例えば、シリアで起きている内戦が仮に終結して、国の復興を行うとする。難民の受け入れや社会へのintegrationなども含んだとしても、実は、アメリカや欧州各国、そして日本などが自らの国の軍事費や自衛のために用いている金額では、どこの1国の場合を見ても、余りあるほどらしい。でも、私たちは、そして私たちの代表たる各国政府は、それを支援に回すことはしない。これは麻疹への対策(ワクチン接種)の供与や、エコで低排出な技術が揃っているにもかかわらず、実質上、世界は気候変動問題に対して何も出来ていない、という“他の”現実でも当てはまる。

 

恐らくニュースなどを通じて報じられている世界の悲劇や、国内で起きている悲劇については、私たちは“知っている”が、知っていることを解決するために、すでにある“解決策”を実行するための“何か”が欠けているのだと思う。私は紛争調停官として、言ってしまえば、“他人の喧嘩”を仲裁してきたし、今も続けている。確かに“いいこと”をしているのだと信じているし、そう言われるが、正直、どこかで自己満足のための努力ではないか、と思うことがある。私は紛争調停のための知識や経験、ツールは持ち合わせているし、手前味噌ながら、調停の成功率は高く、そして調停した案件は効果が長続きしているし、それには満足している。しかし、多くの場合、大きな矛盾に直面する。それは世界中にいる傍観者たちと、能動的な無関心の壁だ。戦争は起きている。それがテレビを通じliveで放送され、お茶の間で戦争の様子を見ている。「かわいそう」「私たちも何かするべきではないか」「政府(国連)は何をしているんだ」と声を上げてみても、すぐに映像に飽きて、能動的に忘れてしまうか、実質的な無関心を装うのだ。テレビの前や新聞記事の前で声は上げてみるが、何もしないのだ。恐らく欠けているのは、起きている問題への関心と、それをactivateするための意思ではないだろうか。解決のためのツールは揃っている。お金も技術も、知識も、人材もいる。ないのは当事者意識とアクションを起こす“一歩”ではないだろうか。

 

意識はできた。ツールもある。自分たちが関心を持って、アクションを起こす必要があることも分かった。では「私たちはいつからはじめるべきか」。そしていつ始めるつもりなのだろうか。開発問題や紛争の問題、ジェンダーを含む社会問題、global healthの問題、国内の貧困の問題、子供への虐待。。。。数え上げればきりがないほど世界には問題があふれていて、私たちは実は解決法をすでに知っているし、持っている。さて、その実行をいつ始めるつもりなのだろうか。私自身も問いかけつつ、これから向き合う案件に取り掛かることにしよう。

by

島田 久仁彦 (しまだ くにひこ)

1975年生まれ。大阪府出身。国際ネゴシエーター。株式会社KS International Strategies CEO。経済産業省参事。同志社大学、アマースト大学を経て、2002年ジョンズ・ホプキンズ大学大学院国際学修士。国際情勢、環境・エネルギー問題の専門家。1998年より国連紛争調停官としてコソボ、東ティモール、イラクなどの紛争調停に従事。2005年から環境省国際調整官(2010年11月から2016年3月までは環境省参与)として、気候変動交渉で日本政府代表団リード交渉官と交渉議題の議長を歴任。2012年世界経済フォーラムYoung Global Leaders 2012に選出される。現在、CNN、BBC、France2など海外メディアに出演し、国際情勢、安全保障問題、環境・エネルギー問題などのコメンテーターを務めている。活動は安全保障・外交問題、エネルギー、環境問題にとどまらず多岐にわたる。主な著書に『交渉プロフェッショナル』(NHK出版)、『最強交渉人のNOをかならずYESに変える技術』(かんき出版)などがある。

SNSでフォローする

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

関連記事
No articles