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超一流になるのは才能か努力か?

「超一流になるのは才能か努力か?」

Peak: Secrets From the New Science of Expertise

 

「彼は(彼女は)生まれながらにしての才能がある」

「天賦の才、天才だ」

 

私達の日常で、超一流とされる実力を兼ね備えた芸術家やアスリートなどを目にするたび、よくこのような表現を耳にする。大体の場合は、感嘆の念と「自分にはとてもマネできない」という思いが入り混じっていることが多いのだが、実際にこの「生まれつきに持った才能」で「後天的には得られない」ようなものというのは存在するのだろうか。そのような疑問を解き明かすべく、フロリダ州立大学心理学部教授のAnders Ericssonが、同僚のRobert Pool氏と書いた本がこの作品だ。私が頻繁に参加する交渉会議でよくお目にかかるドイツ人女性から「ぜひ読んでみて」と勧められた。

 

さて、結論から言うと、Balletなどの身体的なトレーニングにおいて“年齢・身体的な”条件が加わるものを除き、そのような“天賦の才”、言い換えれば後天的には得られないものは“ない”ということらしい。Balletなどの場合は、基本の姿勢(特に足の使い方と関節の柔軟性)は、骨格が固まってしまう前に身に着けておかないといけないが、踊りにおける表現力といった芸術性については、いくらでも後天的に発展が可能とのことだ。他にジャンプ力や思考、技能なども同じのようだ。

 

よく“天才”が生まれる音楽や芸術の世界では、天賦の才よりは、いかに自らの技能を高めるための“練習”をデザインできるかということが肝になるようだ。とはいえ、漫然と長く練習すれば一流になれるかといえば(巷で言われる「一万時間の壁:一万時間練習すれば、だれでも両一流になれるという説」のように)そうではなく、大事なことは“いかに練習するか”ということらしい。そして加えて大事なことは、「どのような環境に自らを置くか」ということだそうだ。例えば、音楽でいうところの天才といえば、モーツアルトが思い浮かぶが、著者たちの研究を通じ、彼の“天賦の才”についての説は見事に破られている。幼くしてピアノ(チェンバロ)やバイオリンを狂いなく弾くことができたり、12歳にしてオペラを作曲したりしたという偉業が伝えられるが、これは父レオポルドの“教育”が功を奏したらしい。彼自身は音楽家としては大成しなかったが、ずっと小さなころから姉とアマデウス・モーツアルトには音楽の英才教育を施し、つねに音楽、それもトップレベルの作品、に触れさせる環境が与え続けた。(実際に最初に“作曲した”とされているオペラなどの作品も、よく見てみると、ほとんどが他の作曲者の作品の切り貼りで、モーツアルト自身が作曲した部分はわずかといわれている)代わりに、ひたすら父の指導の下、練習を繰り返し、当時のトップレベルの作風を盗みつつ、自分なりに作り替え、音楽界に新風を吹き込むことになる。ただ、この“父の指導の下での練習”が大きなカギとなった。それは、ひたすら何レベルも高い技能に挑み続けるという「限界的練習」だ。

 

この限界的練習こそが、超一流を作り出すカギである、と本書は結論付けている。多く用いられる例がチェスプレイヤーや「何桁の数字を記憶できるか」という「記憶力ゲーム」の才能、そしてベルリン芸術大学のバイオリニストの卵、外科医などが、いかにして超一流の域に達するかという研究だが、そのどれもが、後天的な工夫と環境設定の効果を示している。

 

詳しくは本書をお読みいただきたいが、大事なことは“常に限界に挑み続ける”ことと、“自分なりのパターンを作り出す”ことで、超一流は作れる“かもしれない”ということだろう。これらはこれからの教育制度の設計にも大いに示唆があるのではないだろうか。ひな形にはめ込んだカリキュラムを皆に与えるのではなく、基本を教えた後は、「いかにそれぞれの“限界に挑ませるか”」そして「いかにして自らの上達のパターンを見つけるか」といった形式に替えるべきではないかと考える。

 

よくPractice makes perfectといわれ、練習すれば上達する、とされるが、その練習も「いかに行うのか」、特に「練習の目的を明確に意識して行う」のか、「漫然と練習する」のかでは大きく違う。語学もそうだろう。日本でも、いまだに英会話スクールブームだし、「聞き流すだけ」を売りにする教材も大流行だが、本当に上達するには、「何のために」「どうなりたいか」「何を目指すか」といった明確な目的設定と、それを常に意識したデザインが必要だろう。よく「日本人は10年間も英語を勉強するのにろくに使えない」という評論を聞くが(注:実際には私は“使えない”とは思っておらず、恥の文化の負の遺産だと思っているが)、原因があるとしたら、恐らく「明確な目的の欠如」なのではないかと思う。

 

加えて、先述の「限界的練習」に挑むにあたり、いかにその挑戦を楽しんでいるかも大きなカギになる。ピアノや水泳などを子供のころから皆習いに行くが、ほとんどが「もう私には無理」とか「面白くない」という形で、進学などと気に辞めていくが、その“限界”にぶち当たる時期に、「挑戦をルーティン化できているか」否かが大きな差を生むのではないかと思う。大変だし、出来なくて悔しいのだが、超一流と言われる人たちに共通する特徴が、「限界に挑むこと」や「一日何時間は練習する」という日課的なものが、すでにその人の生活に組み込まれていることだろう。

 

今後、教育を施していく際に、「いかに心理面も考えた、継続でき、効果が実感できる」システムをいかに作り、実施するか。考えていくきっかけになるのではないだろうか。

 

ぜひおすすめしたい一冊だ。

 

by

島田 久仁彦 (しまだ くにひこ)

1975年生まれ。大阪府出身。国際ネゴシエーター。株式会社KS International Strategies CEO。経済産業省参事。同志社大学、アマースト大学を経て、2002年ジョンズ・ホプキンズ大学大学院国際学修士。国際情勢、環境・エネルギー問題の専門家。1998年より国連紛争調停官としてコソボ、東ティモール、イラクなどの紛争調停に従事。2005年から環境省国際調整官(2010年11月から2016年3月までは環境省参与)として、気候変動交渉で日本政府代表団リード交渉官と交渉議題の議長を歴任。2012年世界経済フォーラムYoung Global Leaders 2012に選出される。現在、CNN、BBC、France2など海外メディアに出演し、国際情勢、安全保障問題、環境・エネルギー問題などのコメンテーターを務めている。活動は安全保障・外交問題、エネルギー、環境問題にとどまらず多岐にわたる。主な著書に『交渉プロフェッショナル』(NHK出版)、『最強交渉人のNOをかならずYESに変える技術』(かんき出版)などがある。

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